104、チロルの初釜、沢庵の「夢」 |
絶えだえの
吐息のチロル復活す
初釜の席にちょこんと居るぞ
735
年暮る
イブに召れし叔母残す
「夢」眺めつつ初釜祝ふ
嘘のように回復したチロル。この日の初釜に参加。まだまだ生きるぞ。
正月の茶室の掛け軸は、沢庵禅師の絶筆「夢」。この掛け軸は、茶を長い間教えていた茶人である叔母に介護施設に入る前に「形見」としていただいたもの。その叔母は暮れの24日、クリスマスイブに93歳で亡くなった。
- 沢庵禅師の絶筆「夢」
禅僧であり書家でもあった沢庵和尚の73歳最後の筆「夢」の本物と全く同じコピー掛け軸が川端康成の発案で作られ、その一つがここにある。
是も非も弥勒も観音もすべて夢に過ぎない、すべて無である、といって息を引取った。武蔵や柳生但馬守、家光を含め多くの武人に影響を与えてきた沢庵のこの最後の言葉の本意は何だったのか。禅の悟りとは結局、自己と宇宙のすべては無であり、無との一体化ということになるのだろうか。魂は死後神の国に永遠に生きるという多くの宗教思想とも、肉体を離れ魂は虚空の一部となり、虚空をさまようという「空」の哲学とも違った「無」の哲学。これは、信長が本能寺の変で最後に言ったと伝えられる「下天は夢か」にも通じているのかもしれない。
「墓も作るな、拝むな」と弟子たちに言い残して世を去った沢庵の「墓」が、今はその多くがある製薬会社の敷地になっている品川の東海寺に、この絶筆といっしょに、石積として残されている。
夢(沢庵)
百年三萬六千日
弥勒観音、 幾ばくの是非
是も亦た夢、 非も亦た夢
弥勒も夢、 観音も亦た夢
仏云く、応に是くの如きの観をなすべしと
沢庵野老、卒に筆を援つ