205、稲住温泉と建築家白井晟一(秋田紀行3) |
稲住の宿変わらずは杉木立
歳月過ぎし
館も人も
湯沢から1時間、秋の宮温泉郷に東北で一番古い稲住温泉がある。秋田杉に囲まれた1万坪を超える広い庭園を持つ由緒ある温泉旅館で、これまで何度か訪れたことがあった。この稲住温泉は、戦時中、武者小路実篤が疎開し、この旅館にたくさんの色紙絵を残していたり、首相時代の佐藤栄作がお忍びで滞在したり、硫酸事件の被害にあった若い美空ひばりが人知れず療養したことのある離れの座敷があったりと、いろいろ歴史の刻まれた知る人ぞ知る旅館なのである。
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実篤の色紙並べる宿の廊
宿帳残る
名士らのサイン
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照明に浮かぶ杉陰
凜として
釜うつ驟雨夜の露天よ
もう一つこの旅館を有名にしたのは、この建物の玄関や離れが、奇才の建築家白井晟一の設計で建てられたからである。白井はドイツ留学中に、ハイデッカーやカントなどドイツ哲学も真剣に学んで建築に哲学を取り入れようとした孤高の奇才建築家。彼が日本に帰って最初に手がけたのが秋田湯沢の「秋の宮村役場」で、雪国の生活を考えて設計されたその建築の斬新さは当時世間から高く評価された。その時いくつかの建築を秋田で手がけたが、そのうちの一つがこの稲住温泉の玄関や離れであった。
さらに不思議な因縁と言うべきか8月21日秋田魁新聞に偶々載った自分たちのアツハイマーの研究紹介記事の横に、稲住温泉が新たに温泉リゾートとして甦るという記事が載っていると秋田の知人が電話してきた。自分が最後に訪れた3年前の旅館の経営状況は、以下に詠っていたようにかなり悪い状態なのではと感じさせられていた。
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万坪の林園のなか老舗宿
客は少なし
たった五組よ
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豪雨受け雨漏りもあり
うら淋し
昔の栄華今いずこにや
この稲住温泉に我々は特別の思いがある。30年前にアメリカから一時帰国した時、家人とこの温泉を訪れたことがあったからだ。この稲住温泉の修復が済み、営業が再開された時には是非もう一度この思い出の旅館を訪ねてきたいと思っている。