579、上野で運慶展を観る |
10月1日、千葉からの帰り、上野の国立博物館で開催されていた運慶展を覗いてみた。興福寺や全国各地に散らばっている運慶の作品、31体中22体を集めたおおがかりな運慶展で、それを観ようと多くの見物客が会場に押し掛けていた。自分にとっても興福寺の無着、世親像等とは2年ぶりの再会であった。それとともに、関東のものなど初めて観る仏像もおおく、関東地方にこんなにたくさんの運慶作品があったとは全く知らず、とても驚かされた。
Unkei Exhibition held at National Gallary, Heisei-kan at Ueno
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仏像の顔かたちにきざまれし
東国武士の
いのり、たたかい
Carved on the face and body
Of the Great Buddha Statue
Pray and fighting spirit Of the East Samurai Appears out vividly
Dainichi-Nyorai seated statue, recently recognized as Unkei's work ( Shinnyo-en, Tokyo)
司馬遼太郎が著した高田屋嘉兵衛の伝記文学「菜の花の沖」のなかで、一人前の船乗りになるため、海の知識や舟の操縦を学び始めた嘉兵衛が、大日如来をどう捉えていたかを示す忘れがたい一節があったのを思い出す。
『嘉兵衛は,のちの世で科学とよばれる分野のことを、「大日如来」とよぶ。それ以外の言葉を知らなかったし、また日本語に科学という概念がまだなかったからである。。。嘉兵衛は大日如来が宇宙の根源であり、、宇宙は無限に大きく無限に小さく、また無数の質量と性質を持った物質で様々に構成され、しかも固定せずに大原理の上に載って多様にうごいてゆく。その大原理が大日如来であろう。大原理が応変して風や波やあらゆる現象を間断なく生み、消させ、変転させていく。その変化の中でさまざまな仏たちが応身としてあられる。自然界の諸現象が仏たちであるといっていい。。。』
司馬はこの当時の人々の、あるいは少なくとも嘉兵衛にとっての大日如来、そして仏のイメージとはこういうものだといっている。それをどう造形できるのか? そこに運慶の天才が必要とされ,この仏像が造られたのだと思わされる。
ありがたやただありがたや
ほとばしる
如来のかがやき宇宙の原理
Thankful and thankful again for
The Graet Buddha Statue
Splashing brilliantly
The spirit and principle of the universe on it
Sesin- Bosatsu (left) and Muchaku- Bosatsu (right) of Kofuku-ji Treasure House
Lovely puppy, a work of Tankei, s son of Unkei
The seated statue of priest Tyogen who reconstructed Todaiji
Autumn Color of Gotenn-san, the kanzeon-Bosatsu for the family
グーグル検索にてヒットし、小一時間で読めます。
少し難解ですが脳トレに面白いです。