594、北斎と江戸庶民文化 |
先日上野で北斎展を覗いてから、北斎がとても気になっている。飯島虚心の『北斎伝』を読んだり、友人のHさんから紹介された杉浦日向子の『百日紅』の漫画を見たりと、北斎の画工としての凄まじい生き方と、その北斎を包んでいた江戸庶民文化のおおらかさ、自由闊達さに圧倒されてしまいそう。
北斎伝は「画工北斎は畸人なり。年九十にして居を移すこと九十三所、、、その技多いに売るるも赤貧洗ふがごとく、殆ど活を為す能はず」という書き出しで始まる。文語体の文章に、小見出しや区切りがないため決して読みやすくはない。しかし作者の考証は綿密を極め、人物をあぶり出そうとしている。一番の印象は、火事で筆一本を持って焼けだされたあと、とっくりを割って、その底で筆洗い、破片を絵墨の付け皿に,絵を描く場面である。
杉浦日向子さんの漫画は、「北斎伝」の一部をまるでそのまま漫画にして再現しているかのようだ。彼女の愛していた江戸のおおらかな庶民生活の中にどっぷりと浸かって、一人の画工として写生の技量を高めることだけに費やされた北斎の時間を、娘のお栄を主人公にして描ききっている。杉浦日向子さんには、こんな時代だからこそ、江戸庶民文化の伝承者としてもっと生きていてほしかったなあ。
Hokusai at 69、on travel costume?
"Katsushika Hokusai Stories" and Hinako Sugiura's cartoon "crape myrtle"
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おおらかな
江戸庶民のただなかに
生きつかがやく北斎の画芸
Among the free- style and easy-going Edo common people
Hokusai was living
Hokusai's art was
Breazing and flashing in there
だが、待てよ。それはどこの世界にあってもそうかもしれない。トランプのアメリカでも、プーチンのロシアでも、習近平の中国でも、一強体制の続くこの国でも。元気がでてくるなあ、政治体制などに振り回されずに北斎のように生きればいいのだと。
Haiku of Kaga Chiyojo, "when scattering, blooming and when scattering, blooming again. That's crape myrtle". Hinako Sugiura would name the title on that Hokusai lived on the energy of this flower.
The last work of Hokusai, Flying Dragon beyond over the Mt. Fuji
翁死に望み、大息し「天、我をして5年の命を保たしめば、真正の画工となるを得べし』と言い終へて死す、とある。辞世の句は、ひと魂で行くきさん(気散)じや夏の原(嘉永2年、1849年4月18日、享年90歳)(人魂になって夏の野にでも気晴らしに出かけようかな、の意か)
あの富士を越える龍のように北斎の魂は、ひょうひょうと初夏の野原にとんでいったに違いない。