シアトルの市街とワシントン湖を挟んで二つの街が広がっている。ベルビュー(Bellevue) とカークランド(Kirkland)である。10年間の滞米中、初めの2年はベルビューのクライドヒル ( Clyde Hill) 地区に平家を借りて住み、あとの8年はカークランドに一軒家を買って住んだ。
1937
山と海、湖挟まる
シアトルの生活懐かし
気つけば十年(ととせ)
1938
冒険の果てたどり着く
シアトルは安住の地や
インディ拓く街
シアトルとベルビューを繋ぐ浮き橋、エバグリーン・フローティングブリッジ, 対岸の右側がベルビュー。左がカークランド
シアトルとワシントン湖を挟んで広がるベルビューとカークランド,クライドヒル、メダイナ、マーサーアイランド
ワシントン湖にかかる巨大な浮き橋(エバグリーン・フローテイングブリッジ)をわたるとBellevue市に、その入口に位置するClyde Hill。クライドヒルは遠くにワシントン湖を見下ろす丘の上にある地区で、ここに小さいが小綺麗な借家を見つけた。シアトル滞在中ずっと親身になって世話をしていただいたベーブ(Bev)さんという不動産屋さんに紹介された家で、家主はメダイナに住んでいるエレーヌさんというこれまた大変親切な女性であった。
クライドヒルのヒルトップに小学校があり、地区の役所がある。地便性も考慮してそのすぐそばに借りた家である。杉木立に囲まれた一帯に大小さまざまな家が建ち並び、5月の庭にはちょうど色とりどりのロドデンドロンが咲き乱れていた。あのリヨンで見初めた花である。坂道の先には湖が覗いて見え,そのさきにシアトル市街の摩天楼も頭を出していた。近くにはマイクロソフト創設のビル・ゲイツや成功した実業家など富豪たちの大邸宅の立ち並ぶウオーターフロントのメダイナ地区があった。毎日ワシントン湖をわたる橋から、ビル・ゲイツの黒いコンクリートの大邸宅を眺めながらの通勤だった。ともかくこの家で、私たちのアメリカ生活は始まった。
1939
週のたち
クライドヒルの丘の上
樹木繁れる家を借り住む
1940
家具も入れ中古車求め
ともかくも
アメリカ生活再び始まる
クライドヒルの借家、初めて住んだ庭付きの家で,小さいながら庭好きの我々にはまさに天国であった。カークランドに移るまで2年間ここで暮らした。
居間からの木漏れ日に照らされた裏庭の眺め。庭には子供用のPlay Hutが建てられていた。
1941
杉木立
秋には楓の木洩れ陽の
こぼれる宿の庭にたたずむ
楓の落ち葉で埋まる秋の庭で(1988)アメリカらしく小さい家ながらも暖炉もあった。天井のスカイライトもしゃれていて、とても気にいっていた(1988)
クライドヒルの家の周囲の散歩道、ワシントン湖を望む丘の上にあり、アラスカ杉の木立に囲まれている住宅街の一角にあった。天気のよい時はこの辺りをよく散歩した(1988)
1942
我が宿は
みづうみ見おろす高台の
杉木茂れる住宅地のなか
1943
赤、白、黄、、
五月の陽受け咲き誇る
隣家に覗くロドデンドロンよ
1944
水深き
ワシントン湖の浮橋を
車走らせ朝晩通ふ
1945
みづうみの斜面に黒き
ストラクチャ
ビルゲーツ住む大邸宅とな