Read a new novel of Murakami Haruki "Killing Commendatore"
庭に咲いたカタクリの花、黄色のカタクリは球根がごそっと冬の間にリスかテンかキタキツネに食べられてしまったようだ。あるいは誰かがこっそりとったの?
Flowers of a red dogtooth violet (Katakuri) bloomed in a garden. There are no yellow ones seen, seeming to be eaten by a squirrel, ten or a fox during winter. Or someone secretly stole them ?
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ひさびさの村上たのし
ほとばしる
言葉の息吹、描写のちから
A new novel of Murakami
After a time lag from the previous one
Is highly enjoyable
Overflowing of the breath of words and
The power of description
村上春樹、騎士団長殺し
A new novel of H.Murakami "Killing Commendatore"
「1Q84」以来7年ぶりの村上の長編である。村上ファンの一人として、さっそく胸を躍らせて1000ページの「騎士団長殺し」を読ませてもらった。既に130万部売れているという。村上ファンの層の厚さを物語っていそうだ。これだけの作家は今はいない。まだ翻訳は出ていないようだが、世界でも同じことが起こるだろう。
いくつかの感想を持った。1、高い文学性。2、主題とストーリー展開に無理はないか。3、現実と非現実の壁を越えるということ。4、村上文学の持つ国際性、性と愛の絆と乖離、についてである。
1、村上の文学は読み始めたら止められない面白さをもっている。ストーリーの構成力や展開の見事さもあるが、自分には何よりも彼の文学的表現力が魅力である。風景の描写、人物の描写、衣服食べ物などあらゆる描写の洗練された巧みさに思わず引き込まれてしまう。なかでも村上の特徴は、その比喩(直喩、暗喩も含めて)の巧みさにあるように思う。まるで釈迦の言葉を集めた仏典のように生き生きしているのだ。
「雪かきをしても後から後から雪が降り積もるみたいに」「重い火傷を負った人の包帯を剥がすときのように、静かに用心深く」「エンジンの音は、、大きな動物が洞窟の奥で満足げにのどをならしているような音だ」「不思議な恍惚の表情は、、明け方の川面に漂う靄のようにほどなく薄らいで消えていった」などなど、比喩にだけ注意して読んでも100カ所以上のマークがつけられる。ショパンのピアノ曲の旋律に酔うように、言葉の威力を感じてしまう。良質な文学の醍醐味である。村上自身がいうようにこうした描写表現の技量はますます円熟してきているようだ。
2、では、スト―リーとしてはどうなのか?主題は?騎士団長殺しというタイトルとの関連は?ひと言では云えない、なかなかやっかいな印象だ。
小田原郊外の山間部、深い谷を挟んだ3つの邸宅を舞台に展開されてゆく物語に、現実、非現実の壁も越えながら展開されていくストーリーそのものにももちろん引き込まれ、いつものように想像力をかき立てられながら読み進んだ。肖像画家の「私」の妻との別居、東北放浪、小田原の画家の残した家に住み、そこで遭遇する、老画家の隠した絵「騎士団長殺し」を屋根裏に発見してからの様々な出来事、免色という谷を挟んだ隣人、それにつながる少女などが登場し、裏の祠の穴を舞台に展開される現実、非現実の境目に展開してゆく物語。いつもの村上作品のように、そのストーリーの巧みさに引き込まれてしまう。
自分の関心ある主題のひとつは、主人公の「私」の画家としての成長と脱皮で、それと騎士団長殺しの絵あるいはイデアとして登場する騎士団長がどうもつれ合っていくのかということに期待しながら一気に読み進めた。
しかし、読み終わってみるとこの小説の主題は何なのか?それは読者に伝わっているのか?との思いがしてきた。たとえば、それを描いた認知症の老画家の雨田具彦にとっての騎士団長の役割は明確にされたが「私」にとってそれは何なのか、よく分からないままに終わってしまった感じがする。ダンテの「神曲」のなかの煉獄を思わせるような壁抜けの意味は?免色という興味深い隣人のイメージも最後にはあまりにも平凡にしぼんでしまっている。「私」にとっても免色にとっても重要な展開の接点になる秋川まりえという女性の存在は、12歳の少女にあてはめるにはかなり無理がありそうだ、などなど。読み終わってみて、途中で抱いた物語の展開への期待は、うやむやにされ消化不良になっている。そして最初の書き出しで予感された別れた妻、ゆず、の元に帰っていく終章への必然性が掴めないまま、なし崩しにそうなったの感じがどうしても否めないのだ。
勿論いろんな読み方があっていいのだが、自分には物語の展開や文学の奏でる旋律としてはすごく楽しいが、著者の企画した意図がなんで、それを読者にうまく伝えられたかでは、無理が多く、あまり成功しているとはいえないのでは、正直そんな印象をもちながら本を閉じた。著者に対して、少し欲張り過ぎかもしれない(続)
晴れた空をバックに白モクレンが咲いた(4月30日)White magnolia bloomed in the blue sky (April 30)春の始まった庭、明日から1週間 New Yorkに学会の仕事で出かけ札幌を留守にする。春の一番いい時の庭を見られないとは!
The best season of spring has come in the garden. Regretfully I should leave Sapporo for New York for a week