A partition line of our life
この数ヶ月、コロナ禍のため、自宅や札幌に限られた生活をしてきた。それがなくてもそろそろそういう生活にしなくてはいけないと、どこかで感じていたこともあるので、それはそれでいいのだが。
我が家の「トイレ文庫」のなかに斎藤茂太の[茂太さん、美智子夫人の明るい老後の過ごし方」という20年前に書かれた本が置いてあって、時々覗いている。なかなか元気づけられる本なのだ。そのなかに文豪の森鴎外の書いた随筆が紹介されていて、鷗外は55歳になった時、それまでの社会的活動に終止符をうって、これからは自分のために生きたいという「なかじきり宣言」をしている。鴎外は60歳でなくなっているからその時間は長かったとは言えないのだが。
我が家のトイレ文庫「茂太さん、美智子夫人の明るい老後の過ごし方」
一方、18世紀のフランスの思想家ジャン・ジャック・ルソーも同じようなことを書いていた。孤独な生活を余儀なくされていた頃の随筆に[孤独な散策者の夢想」がある。そのなかで、人間は40歳までは社会の為に働き、それ以降は自分のためだけに生きていくのがよいと。それぞれの時代の平均寿命を考えると、ルソーの40歳や、鴎外の55歳が今の時代の何歳に相当するのかは分からないが、鴎外のその後の5年間、ルソーの25年間はまさに自分のための時間として生きようとしていたのだろう。
Jean-Jaques Rousseau の[孤独な散策者の夢想」、グルノーブル留学時代にフランス語の勉強のために購入して挑戦
それもあり、最近は自分の人生の『なかじきり』ということを考えることが多くなった。
果たして自分はどうなのか?
もちろん公的に彼等のようにたいしたことをやってきた訳では全くないが、それでもやはり自分にも当てはまるのでは、仕事を主にした生活をそろそろ「なかじきり」にしなければいけないのでは、と。忙しく働いている間にあっという間に後期高齢になってしまい、少し遅すぎた感もあるが、時代の違いもあるし、ひとそれぞれだからまあいいかな。今直ちにという訳にはなかなかいかないかもしれないが、、、
仕事以外でもそうかもしれない。その一つとして2013年以降、ひどくなった耳鳴り防止と気分転換、リラックスのために続けてきたこの[趣味の写真と短歌」のブログも、どうしようかと考え始めている。そこで手始めにまず、これまでの8年間分の750回近くのブログをまとめて、自分と家族のためだけに残す『本』にしようと決意し、こずかいをはたいて、出版社に頼んでみた。そして14冊のそれぞれ200〜400ページくらいのB5版のカラー写真文庫本が出来上がってきた。手にしてみて、率直に達成感がある。
2970
日々の些事
書き継ぐブログ気がつけば
つもりつもりて十四冊となりWithout a stop
Having presented a blog of daily trifle and thought
Now I have noticed that
It's piled up to a series of fourteen own photo-essay books
B5版文庫本スタイルに印刷した[趣味の写真と短歌」(Mybooks.Jp.)
これを
なかじきりに今後は扱う内容も少し変えていこうかな? だいたい仕事、研究活動の比重や海外、国内の旅行もだいぶ少なくなるだろうし、これからは[晴耕雨読」の日常生活を中心にしたエッセイや哲学パンセを中心にしたらどうかな(でもその目的は?)、、、回顧交友録や季節の庭の花の写真も欠かせない、、、下手な短歌とその英訳詩は、内容を変えても続けていきたい、、、などなど。
収穫まじかい畑の作物
でも果たして残りの時間はどのくらいあるのか?それはわからない。天のみぞ知るである。なかじきりは即、総決算かもしれないし、、つまり
そのときはそのとき、ということ。コロナめ、自分の
なかじきりはあんたによって、よいことか悪いことか、少し早められててしまったかもしれないよ。
庭で色づき始めた紫陽花の花、初心わするべからず、かな