756、菅原一幸先生の急逝を悼む |
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2020年 09月 14日
Mourned the sudden pass away of Dr. Kazuyuki Sugawara 北大先端生命科学研究院でいっしょに活動してきた菅原一幸先生が7月末に亡くなって既に一ヶ月以上が経とうとしている。まだ72歳という若さだった。
突然の知らせを受けた時にはまさに驚かされた。その一月前にもFace Bookでのやり取りがあったくらいでまさかの連絡であった。休暇の家族旅行で倒れたのだと言う。とても悔やまれる。 プロテオグリカンと菅原一幸先生 先端生命科学研究院が作られた際、コンドロイチンなど複合糖質、プロテオグリカン研究の第一人者である菅原先生を神戸薬大からお招きの声をかけたのは自分だったし、その後研究院で糖鎖・脂質研究の中核になって盛り上げていただき、複合糖鎖の研究では世界的な業績をあげられた。先生の主宰された2014年オランダ、ユトレヒトの日蘭Glycobiology会議にも御一緒することができた(ブログ157)。数年前、北大特任教授退職後は京都に戻り比較的ゆったりと生活されていると聞かされていた。 京都に戻られてからも、自分の書く拙いブログに目を通してくれていたようで、時々コメントをいただいた。2年前、京都旅行の際、吉田山の真如堂の記事と写真を載せたところ(654、紅葉の京都 https://yasuiga.exblog.jp/27688865/ )、すぐに返事メールをいただいて「拙宅はその真如堂の門前の家です」と書いてあって全く知らずにいて驚いたことがあった。 菅原さんは自分のような田舎者とは全く違って、京都がよく似合う京風の気品を備えた学者だった。もしかして菅原道真の末裔かも知れないと思ったりしていた。能楽鑑賞も趣味のひとつで、その造詣も深かった。「次は是非とも、能もいっしょに」と約束していたのに、その約束を果たせなかった。 2年前の月夜の真如堂を訪れた時の写真、そのそばに先生宅があったとは 永井先生、稲垣先生、今回の菅原先生にしろ、いっしょに10年間に及ぶ北大イノベーション事業で頑張ってきた恩師や友達がつぎつぎと亡くなっていて、残されたものとしてなんとも言えない寂寥感を抑えがたい。 一つだけ不思議なことがある。亡くなられたあとこの8月、9月と、2回続けて自分の書いたブログ記事に菅原先生の名でイイネが届いている。なぜなのかは分からない。まさか天国からとは思わないが、どうしてなのだろうか。とにかくまづは先生のご冥福を祈りたい。 3008 京に生れ 京に育ちし君なれば そのたたずまい檜扇のやう You were born in Kyoto Grown up and established there Your presence was like Hiohgi Which stands something in degnified air 茶庭に咲いた檜扇の2輪の花
by yasuiga4519h
| 2020-09-14 16:58
| 交友録と自伝的短歌
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