870、山口周「ビジネスの未来」を読む |
従って、これからの世界ではGDPという指標に表わされるような経済成長も、人口増加も、成長率などを追いかける必要はなく、必要に応じて働き、必要に応じて受け取り、労働そのものが喜びであるような(きしくもマルクスが哲学・経済学手稿で未来社会の像として描いたような)社会を作らなければならないとしている。経済性から人間性(生きる意味,働く意義と喜び、そのモーチベーション)への転換、文明的価値から文化的価値への転換、求められているのは技術イノベーションではなくソーシャルイノベーション、それを別の言葉で、インスツルメンタル経済からコンサマトリー(定常)経済へ、エコノミーにヒューマニティを取り戻す、「大きく、広く、効率的に」から「小さく、近く、美しく」とも表現する。
また、そのための3つの具体的指針、イニシアチブとして山口は1:真にやりがいのあることを見つけ取り組む、2:真に応援したい物,ことに金を使う、3: ユニバーサルベッシクインカム制度,をあげている。こうした日常行動の積み重ねと新システムが不可能を可能にすることになると主張する。さすがビジネスに精通した思想家の言である。
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保革とも
ガラパゴス化せし論壇に
新風吹き込む新星あらはる
Both Conservative and Reformist
A new shining star has appeared
Who blows a new wind to us
たしかに山口の論の展開は、これならできそうかもという希望をもたらしてくれる。自分にももしかしてなんかできるかも、と。その意味で極めて魅力的なビジネス論、社会行動論となっている。
1、サイエンスか人文科学かという点で,著者のサイエンスの捉え方に疑問あり。つまり科学技術、文明としてのサイエンスと、文化としてのサイエンスの区別が不明確な感じがする。
2、経済成長がほぼ完了した高原社会になったといっても,現状では大勢は経済成長を追いかけている中で世界の地勢的、一国内での貧富の格差がますます広がっていて、本来可能な高原社会が壊されていて、でこぼこの高原社会になっているのでは、それヘの対応がまず必要なのでは?
3、個人に立脚した革命論、しかも体制の内部にあってビジネス活動を通して実現しようというのは斬新で魅力的である。しかし,覚醒した個人の共同作業をどう組織するのかという運動、組織論を、過去の反省から回避しているが、それだとニュータイプの人間を作るという精神改革になり、かっての宗教改革、思想改革運動のようにならないか?
4、そもそも高原社会という新しい人新世と呼ぶべき世界で、現世の幸福や価値を超えたもの、宗教的感性、霊性はどう位置づけられるのか、それへの言及が全く見られない。その必要性はなくなるというのか?